時はオンスロリリース時。
何故か解禁一発目の店舗スタン構築大会を優勝してしまい、2連続優勝でまたまたオンスロ1BOXゲットしてしまうという訳のわからない結果のせいで、何かよくわからないけど強いと茶化されることにw。このときのデッキはBGワイルドリアニって感じのフィニッシャーに剣歯ニショーバと魂売りを積んだデッキ。このころちょうどエクテンでベンゾが流行り始めてたので、やってみようということで適当に作ったデッキだったんだけどねえ…。でもこの頃の基本除去が終止だったので、ニショーバを突っ込んだという理由だけはあるけど。
ただし、スタンはこの大会後に激動+サイカちゃんぱんちっていう阿呆なデッキが横行したことも手伝ってちょっとげんなりしてたり。あと、この頃からどちらかというとリミテッドが楽しくなって来てて、スタンは楽しむものと分けて考えてたかな。
その努力の結果(?)、JUの店舗プレリパーティで勝ち切ることになり、ありがたくアーナムさんのTシャツを戴けるという栄誉に預かった…んだが、ちょっとあのデザインが気になって準優勝者にそのTシャツは譲ることに。…で、この準優勝者ってのが某蠍火の人だったりする(本人が大層喜んでいたのは記憶にあるw、多分初邂逅)。このころチームゴチ組の基本メンバーに遭遇し、親交を暖める事にw。おもろい集団だったwww(特にクミチョーさんとさとしんくん)。あとTETさんとか子猫ライダーさんとか段棒留さんとか遊び始めたのもこの頃だと思う。
ちなみにこの後、青森マナソースのプレリではオンスロブロックに入っても運よく3回中2回勝ちきることが出来たり(この2枚のTシャツはボロボロながらまだ持ってる)。この頃リミテやりまくったのは、良い財産かなぁ。
そして、この間にあったレギオン発売が衝撃だった。いや、これに関しては店舗のほうが衝撃だったに違いない。
まず、コロコロで完全に勝ちゃんがマジックから手を引いた→マジックやってた子供たちは大体皆DMに移った(中にはばじくんみたいにどっぷり浸かった人間もいたがw)。コレだけでも単価的(この頃は余裕で1パック500~525円くらい)な問題で厳しいMTG在庫なのに、レギオンなんていう冷水をぶっ掛けられたらたまらない。リリース後、1ヶ月くらいで在庫の山が出来ていたことは想像に難くない。スカージでいくぶんか盛り返したようだけど、正直カードショップは泣いたと思う。
そういうこともあってか、ミラディンリリースまで青森マナソが開いてたかの記憶はあやふや。多分その頃に閉めてたと思う(そうじゃなきゃ、八戸にプレリ遠征してない)。すごく残念に思ったもんだ。
結局、くどもに戻るわけだけど、青森に来た頃と違いそれなりに顔見知りは増えていたので、MTGするのには不自由しなかった。ちなみにこの頃の県内の状況を書くと、マナソが出来て間もない頃に弘前のジェスターズカップの本部が空中分解。八戸には行ってないからわからないけど、十和田はわんぱくこぞうでチラホラと非公認大会があったらしい。
なお、ここで初の遠征もした。もうすぐマナソ閉店ってことがわかる前に水沢Zホールで開かれた岩手杯に参加(確か7回戦+シングルエリミ2回戦)。メンバーはSNT氏・H堂君・T君と私。運転が疲れたけど、全員勝ち越したのがいい思い出です。
このころ、青高組という団体に遭遇。たわっち君、Ei-m君、青高ではないけど彼らの先輩kappy君などなどはMTG触り始めの頃だったので、最初はそんなに気にしてなかったです。けど、この集団の成長力はSでしたw。あっという間に強くなった気がするわ。メンタルマジックが基礎だったのかも知れんなぁw。
さて、MTGは出来るものの、これまで定期的にあった大会が無くなるという状況に。遠征しようにも一番近い大会の場所は十和田。しかも定期的にある場所となると八戸が一番近いという結構厳しい状況。
そんな時、ジェスターやってた団体の人でもあったカニベースさんが青森市でMTG大会を主催してくれるとのこと。出場するかと打診を受けたMは二つ返事でおkと返すw。
その大会の名はGrand Coliseum(途中で青森って付いた気が)。長い付き合いとなる大会の始まりだったねえ。
何故か解禁一発目の店舗スタン構築大会を優勝してしまい、2連続優勝でまたまたオンスロ1BOXゲットしてしまうという訳のわからない結果のせいで、何かよくわからないけど強いと茶化されることにw。このときのデッキはBGワイルドリアニって感じのフィニッシャーに剣歯ニショーバと魂売りを積んだデッキ。このころちょうどエクテンでベンゾが流行り始めてたので、やってみようということで適当に作ったデッキだったんだけどねえ…。でもこの頃の基本除去が終止だったので、ニショーバを突っ込んだという理由だけはあるけど。
ただし、スタンはこの大会後に激動+サイカちゃんぱんちっていう阿呆なデッキが横行したことも手伝ってちょっとげんなりしてたり。あと、この頃からどちらかというとリミテッドが楽しくなって来てて、スタンは楽しむものと分けて考えてたかな。
その努力の結果(?)、JUの店舗プレリパーティで勝ち切ることになり、ありがたくアーナムさんのTシャツを戴けるという栄誉に預かった…んだが、ちょっとあのデザインが気になって準優勝者にそのTシャツは譲ることに。…で、この準優勝者ってのが某蠍火の人だったりする(本人が大層喜んでいたのは記憶にあるw、多分初邂逅)。このころチームゴチ組の基本メンバーに遭遇し、親交を暖める事にw。おもろい集団だったwww(特にクミチョーさんとさとしんくん)。あとTETさんとか子猫ライダーさんとか段棒留さんとか遊び始めたのもこの頃だと思う。
ちなみにこの後、青森マナソースのプレリではオンスロブロックに入っても運よく3回中2回勝ちきることが出来たり(この2枚のTシャツはボロボロながらまだ持ってる)。この頃リミテやりまくったのは、良い財産かなぁ。
そして、この間にあったレギオン発売が衝撃だった。いや、これに関しては店舗のほうが衝撃だったに違いない。
まず、コロコロで完全に勝ちゃんがマジックから手を引いた→マジックやってた子供たちは大体皆DMに移った(中にはばじくんみたいにどっぷり浸かった人間もいたがw)。コレだけでも単価的(この頃は余裕で1パック500~525円くらい)な問題で厳しいMTG在庫なのに、レギオンなんていう冷水をぶっ掛けられたらたまらない。リリース後、1ヶ月くらいで在庫の山が出来ていたことは想像に難くない。スカージでいくぶんか盛り返したようだけど、正直カードショップは泣いたと思う。
そういうこともあってか、ミラディンリリースまで青森マナソが開いてたかの記憶はあやふや。多分その頃に閉めてたと思う(そうじゃなきゃ、八戸にプレリ遠征してない)。すごく残念に思ったもんだ。
結局、くどもに戻るわけだけど、青森に来た頃と違いそれなりに顔見知りは増えていたので、MTGするのには不自由しなかった。ちなみにこの頃の県内の状況を書くと、マナソが出来て間もない頃に弘前のジェスターズカップの本部が空中分解。八戸には行ってないからわからないけど、十和田はわんぱくこぞうでチラホラと非公認大会があったらしい。
なお、ここで初の遠征もした。もうすぐマナソ閉店ってことがわかる前に水沢Zホールで開かれた岩手杯に参加(確か7回戦+シングルエリミ2回戦)。メンバーはSNT氏・H堂君・T君と私。運転が疲れたけど、全員勝ち越したのがいい思い出です。
このころ、青高組という団体に遭遇。たわっち君、Ei-m君、青高ではないけど彼らの先輩kappy君などなどはMTG触り始めの頃だったので、最初はそんなに気にしてなかったです。けど、この集団の成長力はSでしたw。あっという間に強くなった気がするわ。メンタルマジックが基礎だったのかも知れんなぁw。
さて、MTGは出来るものの、これまで定期的にあった大会が無くなるという状況に。遠征しようにも一番近い大会の場所は十和田。しかも定期的にある場所となると八戸が一番近いという結構厳しい状況。
そんな時、ジェスターやってた団体の人でもあったカニベースさんが青森市でMTG大会を主催してくれるとのこと。出場するかと打診を受けたMは二つ返事でおkと返すw。
その大会の名はGrand Coliseum(途中で青森って付いた気が)。長い付き合いとなる大会の始まりだったねえ。
コメント
店舗大会とかは、一番人が多かった時期になるんですかね?
> マジックやってた子供たちは大体皆DMに移った
コロコロは、小学生の流行の要だと思い知らされる一件でしたw
勝舞くんが「すげえや、このゲーム!」って言ってDMにのめりこんだ瞬間を読んだ時に『ああ、これで一気に廃れるな…』と思ったら予想通りでした。コロコロもそうですが、主要メディアとの販促はかなり重要だということを改めて知らされましたね。出来ればもう少し引っ張って欲しかったところです。GOTTA(これは連載と同時期だったけど)じゃ駄目なんですよ…。
まあ、今と違ってカードゲームの種類も少なかった=パイを奪い合うこともない、って所でしたな。
>店舗公認大会
マナソースが開店して最初の6ヶ月くらいは月2の定員32人の大会で足切りが起きてた、といえば想像できますかねw。青森市でコレでしたからw。
もう10年くらい経つんですぜw。